未生流笹岡のいけばなの特徴その2
2012年10月27日 | Posted by juho under 未生流笹岡 |
Comments off
|
センスの良いいけばなの花姿。
それが、未生流笹岡のいけばなの一番の特徴であることは前述いたしました。
「足元が涼しくすっきりしていて、センスのある小粋な花姿」という褒め言葉により評価していただくことが多いということも申しました。
未生流笹岡を評価していただく言葉のもうひとつは、「どこで見かけても、誰がいけているのを見ても、花姿が調っていて美しい。」との言葉です。その後に、先ほどの「足元が涼しくすっきりしていて・・・」という言葉が続きます。
実は、いけばなの流派が、「どこで見かけても、誰がいけているのを見ても」というのは、実現するのは非常に大変で稀な事なのです。
大先生と呼ばれる各流派のベテランの師範が活けたいけばなというのは花姿が美しくて当然です。
どこの流派の先生方も一生懸命に切磋琢磨して、年がら年じゅう、厳しく楽しいいけばなの修行に明け暮れているわけですから、良い作品を常に生み出せなくては値打ちがありません。つまり、先生の活けるお花は、(流派によって花姿は違えど)美しくないはずがありません。
しかしながら、未生流笹岡の特徴は「誰がいけているのを見ても」美しいのです。
つまり、比較的初歩の修道者である生徒さんであっても、活ける技術さえ、ある程度身につければ、未生流笹岡独自のすっきりした洗練されたバランスを保ったデザインを再現することが可能です。
それは、未生流笹岡には、長い歴史の中で研究してきた「いけばな寸法表」という設計図を受けついでいるからです。
完成図である花矩(はながね)を持っている流派は、多く存在するのですが、設計図を熟成させている流派は未生流笹岡以外にはあまり見掛けません。
ひとつは、「お花」は生き物であり、人の顔が千差万別であるのと同じように、お花のひとつひとつに個性があり、寸法表を作ってもなかなか思いどおりの花材が揃えられないと考えられてきたからです。
寸法表があっても、そのとおりの花材がないと、ある意味ムダと古来より決めつけられてきたのです。寸法を気にするより、感覚を磨け、と。
しかし、花材の個性に対応できるようなアイデアを盛り込むことで、ひとつひとつ自己主張を持つ「お花」を制御できるように考えられているのが、未生流笹岡の寸法表の誇らしいところです。
寸法表が他にあまりないことのひとつは、一子相伝に近い徒弟制度の中で初心者には簡単に奥義に触れさせない流派もあるのかもしれません。門人がたやすく寸法表を閲覧できるというのは、古い時代では考えられない奇跡に近いことといえましょう。
ただし、もちろん、いけばなの技や、センスも磨いていかなければ、いくら寸法表通りに活けているつもりでも、人をうならせるようないけばな作品を完成させられるようになるには、時間も掛かります。
それほど甘くはないですよ(笑)。
ただし、早く上手くなれるチャンスはあります。
早く出世するチャンスもあります。
それが未生流笹岡です。
参考リンク:
最近のコメント