いけばなの花矩(はながね)
花瓶に花をさして愛でるという文化自体は、平安時代から行われていたようですが、当初は、厳密な型などはなかったようです。
要するに、初期のいけばなは、偶然の美でしかなかったわけです。
もともと座敷飾りの一環としての「たて花」が段々と荘厳化し「立華」として独立した観賞作品として昇華してきた江戸時代になってようやく、いけばなの型が決められるようになってきました。
しかしながら、いけばながいつの間にか仏教的宇宙像の具象化さえも試みる大仰なものとなってしまった反動の中で、自由にさすいけばなが一時的に流行しましたが、やはりそれは偶然の美でしかなかったために、さらにそのアンチテーゼとして、それほど難解ではない型を決め、庶民の誰もが活けることができる「生花(せいか)」が生まれました。
この生花においての型が花矩(はながね)であり、天・地・人というシンプルな理論に基づいて構築されました。
この花矩(はながね)を大成したのが未生斎一甫であり、未生流の花矩(はながね)は未生流の各流派に受け継がれています。
花矩(はながね)というのは、いけばなを形良く生けるための理論であり方法論です。花矩(はながね)に基づいた「完成図」は流派ごとに様々に研究されています。
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